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我が家(実家)にお仏壇が来ました。
生まれてこの方家にお仏壇があった事がない。
父ちゃんは長男だけど、ご先祖さんのは叔母さんの家にあった。
あの重厚な黒い箱の中はこれでもかというぐらいキンキラキンの
個人の好き嫌いお構いなしのものを置かないといけないのかと思っていたら
宗派によって違ったり、そして最近はちょっと洒落たタイプもあるんですね♪
こんな感じで。
まだお寺さんに来て頂いてないので
ひとまず扉は閉じたまま。
黒檀をつかったシックで落ち着いた
あの黒光りはどこにもない
ステキなお仏壇です。
お仏壇にステキもへったくれもないか。
なんでこのタイミングでお仏壇?
ご存じの方もいらっしゃいますが、先月お父ちゃんが亡くなりました。
先週に満中陰の法要も終えたのでご報告しておきます。
長い入院生活から、残念な形ではありますが解放されました。
新しい家で一緒に過ごす事もなく、最期に会えなかった事も重なって実感もいまいち。。。
「居ない」っていうのは分かってて、そんなに気にもしないけど、
ふとした時に寂しくなったり…
なんか失恋したみたい?笑
やっぱり大きな存在やったなぁ。特に何を教えてもらったわけでもないけど。
「やりたい事をしなさい。」ってぐらいかなぁ。
「人と同じじゃアカン」とも言ってたなぁ。
だから未だに自分のアイデンティティーがフワフワして着地できへんのやけど。
いったいワタシは何処へ行く?
真面目に素直に話してなかったなぁ。
「オレ様」気質やったから、自分の思いが否定されるのが怖くてねー。
今でも上の階で響いてた足音は一種のトラウマのようになってるし。
一回ケンカしたなぁ。原因はここでは言えないような内容ですが(笑)
はっ。なんか回想してしまった。
また良ければ我が家のステキなお仏壇見に来てくださ~い。
っと営業しとくわね@三宝堂さん♪
何か決まりかなにかあるんやろか?
って思います・・・
・・・実感って いまいちないよね。
私の父も亡くなる前は会ってなくていきなり あの姿やったから。
でも 年月がたって 時々無性に会いたくなるよ。
嬉しいことがあった時は特に。
「おれ様」でも やりたいことをしなさい。
って言ってくれるお父さん素敵やね☆
どこでこうたん?
昨日も、ママさんと「え~な~キレイやな~」って言いながら。
おとうさん気に入ってくれたら良いケド…
ウチも丸5年経って「あ」って思う。
住む世界が変わった今の方が、より近くに居るのを感じる。
何かにぶつかった時に「おかんやったら?」って
逃げそうになる自分を押してくれたり。
無くても良いかも?やけど心の拠り所になるかも?
だって素敵な仏壇やもん❤
お仏壇の前に座ると落ち着くょ!
私、お父ちゃん声が思い出されへんねん?33年聞いてないしぃ(笑)
また会える日まで一生懸命生きることやね(*^^)v
「看取れて」みんな親孝行やねんでぇ!
決まりはあるはず〜。
詳しくはプロ@cheeseちゃんに聞いてみよう!
無性に会いたくなる時があるんやねー。
ホント、嬉しい事やいい報告ができるように生きていこうと思うわ。
やりたい事しろっていう割には何かがんじがらめになってた気がしなくもないんやけど〜
でも有り難い人でした♪
三宝堂さん、ええのん置いてはるわ〜〜(笑)
うちのお父ちゃんはセンスないからキンピカの方がええって言うかもよー。
時間が経つ程より近くに感じるのか〜。
うちのお父ちゃんは私の背中を押してくれるかな?
「何やってんねん!」ってアタマ叩かれそうな気がするわ。
甘えてばっかりやったからねー。
素敵なお仏壇やのに近寄りがたいかも〜。
お仏壇の前が落ち着く場所ですか!?
なるかな〜、なるといいけど。
33年も経つと声も思い出せなくなりますよね。
カラオケしてるテープとかないですかね?
存じ上げずに申し訳ございません。
あっこさんが淡々と語れるのは、
きっと御父様が入院中にお辛いご様子を見られてたからでしょうか・・・
私も3年前に父を亡くした時に
悲しさよりもホッとしました。
どういう形でも生きていて欲しいと思うのは当然なのかもしれないのですが、
苦しんでいる姿を見ていると
「楽にしてあげたい」と側で見ている家族にしたら思うものです。
死に顔を見た時に
「あーホッとした」と父が言ってるようで、ついつい
「良かったね、苦しまなくてよくなったね」と言ったものです。
父という存在は、娘にとって微妙な存在で、
だけど、亡くしてしまったら父の愛情を感じる、何とも不思議な感じです。
御父様のご冥福を心よりお祈りいたします。
師匠のことなら直ぐに電話しますけど!
淡々と、ですか?
そんなことないですよー。
まだまだ癒えてないです、ホントはね。
こんな事を言うのは不謹慎かもしれないけど、どこかでそんなに長くはないなって思うところもありました。
痛くなったら「ハイ、痛み止め」
熱が上がれば「ハイ、解熱剤」
ってドラえもんの四次元ポケットのようにポンポコポンポコ薬が登場しては入れられてたので、これじゃ体温下がって治るもんも治らんなーって思ってました。
でもそれを選んだのは父なので仕方ないと言えば仕方ない。
1年以上も病院にいたから本当に「解放された」って感じです。
居てて欲しいと思う反面、無理して生きてて欲しくないってのがあって。
そう思うと私は冷めているのかもしれませんね。